8月、枯れたと思った玉すだれが9月に入っての長雨で復活し、見事に咲きだしました。玉すだれとノビルは万葉集や伊勢物語、古事記にも出てくる、古くから親しまれている本草です。ノビルは古くから食用や薬草としても用いられてきましたが、玉すだれやヒガンバナ、スイセンは有毒で、食中毒の原因にもなるので注意が必要です。

たますだれ(玉簾)、花色は白、花言葉は「純白の愛」。夜は花びらを閉じるが、2~3日咲き続け、次々と花茎が伸びて1っか月ぐらいは咲き続けます。
「仲秋と 言へど残暑は 容赦なし 走る目には タマスダレ涼し」作者不明
長雨と残暑、まだまだ止みそうにありません。

ご注意ください。この写真は”にら”です。ノビルと間違えましたが、以下の話はノビルのことです。ごめんなさい。
古事記に登場する野蒜の話は豪快です。
日本武尊は東征の帰途、常陸新治(ひたちにいはり)、筑波を経て相模足柄山の坂の麓まで来て、お食事の乾飯(かれいい)を召し上がっていたところに、足柄峠の邪神が白い鹿に姿を変えてあらわれ道をふさいだ。これを見て尊はすぐに食べ残しの野蒜の片端を白鹿めがけて投げつけると、その目に当たって白鹿は撃ち殺されてしまった。それから尊は坂の上に登り立って、三度もため息をおつきになり「吾妻はや(わがつまよ)」と絶叫なさった。そこでこの国を吾妻(東)と言われるようになった。
「武蔵御嶽神社のおいぬ様」の伝承では、尊が野蒜を投げつけて大鹿を退治したが、その時山谷鳴動して雲霧が発生して道に迷ってしまった。そこへ忽然と白オオカミが現れ、西北の道へと軍を導いた。尊は大いに感謝し、白狼に「大口真神(オオグチマガミ)」としてこの御嶽山に留まりすべての魔物を退治せよと仰せられた。そこでこの神社の狛犬はオオカミの姿をしており、愛犬の健康祈願もしてもらえるそうだ。(武蔵御嶽神社:東京都青梅市御嶽山176番地)
こののち日本武尊一行は甲斐酒折の宮に到って、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と連歌発祥の基となった問いの歌を詠み、また戦功のあった大伴武日命に靫部(ゆきべ、ゆげいべ)の称号を与え、東国の押さえとして市川の郷に残るよう命じた。其の館跡に建てられた神社が弓削神社(ゆげじんじゃ)です。
日本書紀では、日本武尊が大伴武日命を市川に残したまま、帰路につき、信濃・下伊那郡阿智村の信濃坂の山中で、山神(邪神)の化身の白鹿に噛んでいた野蒜を投げつけたと言う同様の話があり、阿智神社の社伝に載り、同村の昼神温泉の名称はこの故事にちなんで「蒜噛(ヒルカミ)」の音を「昼神」にかえて表したものだそうだ。(信濃坂:阿智村から神坂峠を越えて岐阜県中津川市神坂に到る。以後、峠越えには蒜を噛んで人や牛馬に塗って魔除けとしたそうだ)
美智子皇后御歌 平成29年(2017)の歌会始のお題は「野」であった。 土筆摘み 野蒜を引きて さながらに 野にあるごとく ここに住み来し
上皇后殿下御歌 野蒜とふ 愛しき地名 あるを知る 被災地なるを 深く覚えむ 上皇殿下が野蒜の思いを馳せ詠んだ歌の碑が宮城県東松山市「野蒜駅震災復興記念公園」に建立(2019/3/11)されている。
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道の 香ぐわし 花橘は 上つ枝には 鳥居枯らし 下つ枝には 人取り枯らし 三つ栗の 中枝の ほつもり 赤ら嬢子(おとめ)を いざささば 好らしな 応神天皇御製