
当社のご祭神大伴武日命の末裔とされる六の宮中将の祭祀を七月七日に行いました。
中将屋敷は今は石祠が鎮座されており、二年前に相談役をはじめとする関係者の皆様に危険な中を登頂していただきました。
山の奥であるため、昨年は山に入る入り口付近で遥拝の神事となりました。入り口と申しましてもその場所に行き着くまでには熊など獣出没の危険もあるため、今年は青嶋の屋敷神の神前にて遥拝の神事となりました。
富士山の延暦の大噴火の際に、富士の山の神のお気持ちを鎮める祭祀を行う国の使者として、この地に平安が訪れるよう神社のはじまりに関与してくださった六の宮中将さま。大噴火がおさまるよう、一生懸命祈り続けた姿が想像されます。
そして、それが遠い先まで分かるように石祠を造った24代の青嶋茂彦宮司にも感謝し、また、半世紀ぶりに昨年より大事な神事の復活を成し得たことは二年前の登頂関係者皆様のお陰であることを改めて実感した日でもございました。
参列者皆で中将屋敷の方を向き拝しました。
古より連綿と続いてきた神社でのお祭り、また地域のお祭りは、天の川の無数の星の集まりのように、はるか古より無数の多くの方々によって守られ、そして続いてきたものなのだと、七夕の日に改めて感じることができました。

七月七日は牽牛(彦星)が天の川を渡れる日なのでしょうか。万葉集・柿本人麻呂の歌に 「ひさかたの 天(あま)つしるしと 水無(みな)し川 隔てて置きし 神代(かむよ)恨(うら)めし」 水無川とは天の川のことで、天のしるしとして置かれたというから、しるし=印 印川で中将屋敷と青島の神主屋敷は隔てられ、近づくことが出来ないのかと思ってしまう。 将来 安全登拝が出来る日が来るのを願っています。
コメントをありがとうございました。改めて「七月七日を祭日とする」という意味を考えさせられます。印川、印沢の名称の由来はいくつかありますが、「天つしるし(印)」も、この地の地名、川の印との関係がないとは言えない気持ちにもなりました。もともとは中将屋敷が発祥であることを心に刻み記憶に、そして記録に残すべき大切なことです。近い将来安全に登頂の上、石祠神前にて祭祀を行えますように。ありがとうございました。