弓削神社の四季(秋7)例大祭神輿渡御

拝殿で御祭神の御霊入れをし、正午、花火の合図とともに出発。隋身門をくぐり、大鳥居前、道路わきの神輿台に安置され、発輿祭を斎行する。

神輿渡御の順路は、大鳥居前神輿台→八丁目お旅所→保泉(JR市川本町駅前)御旅所→一丁目御崎神社(八幡神社みこしと合流)→四丁目お旅所→若木町(JR市川大門駅前)お旅所→弓削神社に帰還、約7km、5時間の旅程です。お旅所ごとに祝詞奏上を行い、住民の安寧と地域の安全を祈念し五穀豊穣に感謝します。

発輿祭を終わって神輿は向きを変えて西に向かう、300m先の旧印沢村回り木でUターンし、再び神社前を通り町中に向かう。回り木は徳川家康公が市川に着陣した時、急な嵐で、神輿の担ぎ手が逃げ出してしまい神官が困っていたところ、家康公の命令で家来に担がせ印沢村のケヤキの大木まで何度も往復して神慮を慰めたことがあり、この地を回り木と称したそうだ。

再び神社鳥居前を通って町中に向かう。先導と、錦旗二旈。

水桶をかつぐ二人、隣で笹の枝を持って露払い、沿道を清めて歩く。後ろに天狗と姫が続く。

賽銭箱を持つ二人、まだ軽そうだ。後ろの軽トラには笛、太鼓の楽師が祭囃子を演奏している。

市川本町駅前の天狗と姫。フェンスに七五三祭のポスターが貼ってある。来週の弓削神社では着飾った親子らで賑わうことだろう。

天狗と姫には介添え人がついて安全を確保する。御神前に捧げた菓子やアメ(神饌品)を子供たちに授与する。

担ぎ手は総勢40名、20名づつ二手に分かれて交代で担ぐ。神輿の重さはおおよそ300㎏。担ぎ手の装束は白張りと言い、平安時代に貴族の従者の出で立ちです。担ぎ方は”平担ぎ(ひらかつぎ)”と言って、わっしょい(和一緒に)の掛け声で、揺らさずにかつぎます。当社の御祭神の神様をお乗せしているからです。

風に揺れるお神輿、久しぶりの晴天に輝いている。

市川大門 中央通り 三丁目と四丁目との境、もうすぐ四丁目お旅所。  今日は祝日”文化の日”でもあり、神輿の後方に祝の国旗日の丸の旗が靡いている。

四丁目のお旅所での祝詞奏上、弓削神社と八幡神社の神輿の前で宮司一拝。(八幡神社の神輿は一丁目の御崎神社から五丁目まで弓削神社に随行し、お見送りする)(明治二十年ころから、八幡神社、八乙女神社の神輿が御崎神社から同行し、七軒町迄随行する慣わしとなりました。

夕方4時半、帰還、七段の木階を上り、神輿を下げて拝殿に入る。

拝殿中央の神輿台に乗せ、安置する。遷座祭で御祭神の御霊を本殿にお遷しして終了する。

神輿渡御の総勢は神官や警備の者も含めて84名であった。無事神輿渡御を完了し、総員に感謝、地域氏子に感謝、御祭神に感謝、晴れ渡った天に感謝して終わりました。

1件のコメント

  1. 渡御の様子をわかりやすく、ありがとうございました。
    長距離の御神幸、お疲れ様でございました

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