6月30日には弓削神社の大祓いの儀の神事が斎行されました。 年番役員が早朝より手分けして、ヨモギ,茅の刈り取り、茅の輪つくりをして、4時からの神事に備えました。 神事の後には市川三郷町の観光大使山本由紀美さまの大地と海をテーマにした自作の歌曲を独唱し奉納され、最後に故郷を全員で歌い、和やかなうちに大祓いの儀を終了しました。 茅の輪くぐりの様子などは写真入りで次回の投稿があるのでご期待ください。
拝殿前に設置した茅の輪は二週間ほど、そのまま置きますので参拝の際にはぜひ茅の輪くぐりをして、身の穢れをお祓いください。 以下、7月1日の茅の輪の様子です。

隋身門の先の石階段の上に茅の輪が見えます。

茅の輪の両脇にくぐり方の説明書きがありますので、この通りにくぐって下さい。

茅の輪のくぐり方を説明するとき、八(8)の字に回ると言いますが、8を地面に書いて上から見れば、∞に見えます。無限大(∞)は”循環”、”永遠”、”宇宙”を表しています。
「水無月の 宇(そら)をうつして 茅の輪越え 描く無限の 摩訶不思議かな」 植戸万典
大阪の住吉大社では昭和初期のころまで、左右に廻る度に違う歌を唱えたそうです。(平岡好文著典故考証現行実例雑祭式典範)
一度目(左回り)「おもふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓いつるかな」
二度目(右回り)「みな月の なごしの祓え する人は 千年(ちとせ)の命(いのち・よわい) のぶと云ふなり」
三度目(左回り)「富川の 清き流れに 禊(みそぎ)せば 祈れる事の 叶わぬは無し」 と詠って廻ったそうです。
小倉百人一首の第九十八番、従二位家隆 「風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける」
”ならの小川”は上賀茂神社の境内の奥に流れる小川のこと。ここで古い昔から陰暦六月のみそかに”夏越しの祓え”が行われた。現代では新暦なので、八月十日すぎにあたり、境内を流れる小川の水をかぶって”夏越しのみそぎ”が行われた。 歌の意味は、そろそろ夕風の涼しさを感じる夏の終わりころだが、夏越しの祓えの神事は夏のものだから、まだ夏なんだなあ。と言うぐあい。

令和七年七月七日・スリーセブンの今日、弓削神社にも時折参拝者が訪れています。隋身門の奥に夏越しの大祓いの茅の輪が見えるでしょう。

一週間たって、大分ヨモギが枯れてきましたが独特のにおいはまだぷんぷんしていて、魔除けには十分です。十三日まで置きますのでお出でください。
七月七日は七夕の日ですが、弓削神社にとっても特別な日でもあります。 弓削神社から一キロほど南、印川の上流、中将橋。中将沢の奥に中将屋敷がありまして、そこに弓削神社の初代神主の六ノ宮中将の祠があります。その祠には、六ノ宮中将の諡(オクリナ)を大谷命として、七月七日を発日(タチビ)であると刻字してあり、今日は中将橋にて宮司一行が遥拝し、大谷命の霊を慰めるそうです。次の写真は昨年4月13日にクマよけの爆竹を鳴らしながら登り、登拝した時のものです。
薄っすらと「大谷命」と読めるでしょう。中央には「しめ飾り」右には「鍵穴」を模した四角のほぞが彫ってあります。


祠の背後には椋(ムクノキ)の大木がご神木のように祠を護っているようです。(ホームページの「中将屋敷登拝記(1)~(4)に詳しく報告してあります。なお、この祠が修復再設置されたのが安永七年(1778)七月七日、当時の神主は第二十四代青嶋茂彦宮司。 六ノ宮中将は延歴18~21年(800-802)の富士山大噴火の時勅使として鎮祭したそうです。(甲斐国志)