七番目の絵柄は 姫栽稲庭 秋實豊潤 です。 木花開耶姫は稲を栽え 秋には豊作、潤いをもたらす。
瓊瓊杵尊が地上に降り立つとき天照大御神から託された三つの神勅(天壌無窮・宝鏡奉斎・斎庭稲穂)の内、斎庭稲穂を実行したことです。瓊瓊杵尊は高天原の庭の稲穂をいただいて、地上に降り立ち、木花開耶姫と共に全国に稲作を広めました。
木花開耶姫は燃える産屋の中で無事出産したことから、安産の神、火の神ともされ、各地の山を統括する父の大山祇命から富士山を譲られ、東日本一帯を守るようになったという。 貞観6(864年)~7年富士噴火が度々あり、木花開耶姫は多くの従者を連れて西へ避難し蛾ケ岳を通って正体山で休息し、随行の女神たちに神楽をまわせ、そこを神楽沢と言い、梅の香りに誘われて梅林に通った地は「梅が入」となった。木花開耶姫が光り輝くのを見て村人が馬を降りたところを”下馬”と言い、手をついて拝礼したので”押手”(おして)と言い、印の字があてられた。この地に高田一之宮浅間神社が建てられ、勅使を立てて鎮祭した。代々の神主伴氏(ともし)は弓削神社と同じく大伴武日命の裔であり、中将屋敷に住したという。
もろ人の 心も清き 御注連縄 掛けて神代の 道ぞ妙なる 青嶋常定 元禄十四年(一宮浅間宮帳)
延歴19年(800)の富士噴火の時、六宮中将が勅使として弓削神社で鎮祭し、大領職として復興に尽くしたが、貞観の富士噴火では、祈りが足りなかったとされ、大領職を免じられた。
春の野に 霞たなびき うらがなし この夕影に うぐいす鳴くも 大伴家持(718-789)
次回は八番目の札「天壌無窮 天空海闊」です。 天壌無窮は天照大御神の三つの神勅のうちの一番目の勅語です。