七夕とは、7月7日の夕方を意味していて、 七夕を「たなばた」と呼ぶようになったのは、奈良時代に中国から伝わった行事「 乞巧奠(きこうでん)」と、織姫と彦星の七夕伝説が、日本古来の棚機つ女(たなばたつめ、はたを織る女)の習俗と結びついたからだといわれています。
奈良時代に乞巧奠が伝わると、貴族は庭に祭壇を設けて供物を供え、梶の葉に和歌を綴ったとも言われています。
江戸時代の文献には、京都の様子が書かれていて、笹飾りにたくさんの短冊をつるし、梶の葉も飾ったそうです。梶の葉に七夕の和歌を書くこともあり、短冊の前身は梶の葉でありました。
江戸後期から明治時代の浮世絵には、短冊や華やかな切り紙細工を笹に飾り付ける風景が描かれており、その背景には和紙量産技術の発達と庶民層の普及が大きな要因だったそうです。短冊に詩歌を献じ文を書く月なので、文月という説もあるそうです。
七夕の短冊が和紙の普及と関係しているということは、七夕と市川の町も関係していますね!!