発明王トーマス・エジソンは、電球のフィラメントに適した材料を探して、20000回!の失敗のあと、日本の京都産の竹をフィラメントとして用いることにより、白熱電球の開発に成功しました。
それは1879年のことでした。現在から145年前です。
これって意外と新しいことだな、と思いませんか?
意外に新しいと思う理由は、たぶん、現在の「電気文明」の凄さにあるのだと小生は思います。今や、あらゆるところに電気が使われていて、電気がなければまったくなにも動かない。当然ながらインターネット、スマホ、パソコンも。
小生が「意外」と思う理由のもう一つは、その145年の内、何十年もを、電気による照明の下で自身が既に生活して来ているからかもしれません。
明治20年に鹿鳴館で白熱電球を灯すイベントが行われましたが、常設の発電・送電システムが設置・運用されたエリアとしては、市川三郷町は日本で3番目。日本国内でもとても早い地域です。明治33年(西暦1900年)に芦川第一発電所の運用が開始されました。
明治25年頃、精進湖に住んでいたイギリス人牧師が芦川を下った時に、この川は発電に最適だと当時の市川大門の有力者・秋山喜蔵に勧めたことから建設計画が始まりました。
川の本流よりも傾斜が緩い水路に本流から採った水を流し、下流で高低差がついたところで水路から本流に水を落下させて水車を回して発電する水路式発電。山腹に道を作ることはお手の物の山梨の土木エンジニアと土木作業員の方々が張り切って水路を建設したことと思われます。
明治33年5月10日、皇太子(後の大正天皇)ご成婚の日、山梨に初めて電気の明かりが灯りました。甲府電力本社(現在の東京電力甲府支社)前、菊のご紋章の形に並べられた電球に光が灯りました。
当時、出力100kW。甲府が882灯、市川大門が283灯。電気料は当時のランプの油代に比べて相当高額であったようです。昼間は水路や発電設備の整備のため停電し、午後3時から翌朝8時までの配電でした。
発電所の水車はアメリカ製でしたが、発電機は国産(芝浦製作所製)でした。
現在は当然1日に24時間運転です。現在、常時出力180kW、最大出力470kW。
芦川第一発電所を現在は東京電力リニューアブルパワー株式会社が所有し、運用しています。