9月長月に入り、暦の上では少し前から秋ではありますが、蝉時雨が一層暑さを感じさせますが、この夏を懸命に生きる姿は素晴らしく生命力を感じますね。
前の投稿で百合の歌をのせていただき、ありがとうございました。
百合の花は「清浄」「神聖」を象徴するため、神社の境内や神事と関わって詠まれた和歌・俳句も残されているようです。
藤原家隆(『新勅撰和歌集』)
「神垣の松の下ゆく百合の花 神の御前ににほひそめける」
(伊勢神宮の神垣の松の下に咲く百合の花が、神の御前で香りはじめている)
→ 神域と百合を結びつけて詠んだ歌で、伊勢神宮歌会でも引用されたそうです。
高浜虚子
「百合咲くや社の森を出づるとき」
→ 神社の杜を抜けたところで百合が咲いている景に神聖さを重ねています。
百合、といえば、ひめゆり学徒隊も「百合」の字が入っています。今年は戦後八十年の年で多くの式典も行われました。今、生を与えられ平和に暮らすことができているのは、命をかけて私たちを守ってくださったご先祖さまがいらっしゃったからです。おかげさまで私たちは平和に暮らせています、といういつも感謝の気持ちを持って暮らすことがご先祖さまたちの慰霊になるのだと思います。

この時期に家の庭で薔薇が咲いておりました。
調べると夏に咲く薔薇もあるそうです。
薔薇を見ると、祖母の俳句を思い出します。
紅薔薇や わが青春は 戦中に