山梨県神社庁報に弓削神社の記事が掲載されました

弓削神社の例大祭の御神輿の写真が山梨県神社庁報「かひがね」令和6年新春号の表紙になりました。また同号に当社宮司・齊藤 實による記事が掲載されました。

令和5年11月3日  弓削神社例大祭御神輿

例大祭

弓削神社

宮司  齊藤 實

弓削神社は延喜式内社で御祭神は大伴武日命、日本武尊、瓊瓊杵尊、木花開椰姫命、彦火火出見命の五柱で、御祭神大伴武日命は日本武尊に従って東国を平定した帰路市川郷に居を構えた後に「弓削塚」として此の地に最期を終えた墳墓が遺されている。例大祭は十一月三日に斎行された。神職、氏子総代役員、来賓の市川三郷町長、鰍沢警察署長、神輿担ぎ手、天狗、姫、楽師等総勢八十人余りが参集した。御神輿は四キロ余り、お旅所二ヶ所の神事の後、御崎大神社にて八幡神社と弓削神社の神輿が終結し合同祭を斎行、その後も二ヶ所のお旅所を巡り、笛太鼓が鳴り響く中、日没後帰還した。天正壬午十年戦国時代末期、大祭当日雲集していた担ぎ手が突然の激しい雷雨の為恐れ逃げ去った時、甲斐に入国していた徳川家康公率いる徳川勢が通りかかり事の由を神主から聞き同情し直ちに甲冑に身を固めた手兵に命じ神輿を担がせ神慮を慰めた。以来此の社の神輿の渡御には必ず武装する事を例とした。この様な神輿の歴史が当社に残っている。御祭神と家康公に敬意を表し当社の担ぎ手の衣装は白張である。境内社には東照宮が祀られている。コロナ禍の二年も御神輿は中断する事なく小型の神輿を作り御霊をお納め巡幸昨年から本神輿渡御により活気を取り戻した。本来の姿を待ち望んでいた沿道の大勢の人々の敬神の念は神に届き御神威が更に増す事をお祈りする。拝殿に納まった本神輿は来年の此の日を待つ。その隣にはコロナ禍に於いて大役を果たした小型神輿が見守っていた。

 

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氏子総代会IT担当

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