弓削神社参拝のしおり
弓削神社参拝のしおり

大伴武日命

日本武尊

彦火火出見命

木花開耶姫命

瓊瓊杵尊

◇御祭神

月次祭

新嘗祭

七五三祭

例大祭

大 祓

祈年祭

歳旦祭

◇御祭日

毎月一日

十一月二十三日

十一月十五日

十一月三日

六月三十日

三月一日

一月一日

◇◇◇

例大祭神輿巡行 夏越の祓い

天正十年の例大祭の際時ならぬ雷鳴に氏子驚き逃げ去り神主一人残されているところへ徳川勢が通りかかり是に同情して武装のまま神輿渡御を斎行したとのことで爾来この社の神輿の渡御には輿丁は必ず武装することを例としたそうだ。

しおり

弓削神社参拝の

延喜式内社

桜咲く頃の鳥居

両部鳥居瓦葺
文政三(1820)年建立
市川三郷町指定有形文化財

絵馬

絵馬「神馬」明治二十五年来城方岳画
奉納二丁目一之瀬さん吉
来城方岳(1828-1909)は第二七代青嶋貞賢の義兄弟

延喜式内社
 山梨縣西八代郡市川三郷町二ノ宮6372
     電話 055 272 5481 (青嶋)
     電話 055 282 4807 (齊藤宮司宅)
            平成27年鳥居改修記念・篤志寄付により制作

狛犬右 狛犬左

狛 犬
     奉納昭和九年伊勢神宮・出雲大社・讃岐金毘羅宮参拝記念

俳句額左 俳句額右

俳句額 奉納發句合 天保九戌歳霜月(俳人百十名・百十六首)
催主 木卯、八十翁道廣(小澤有隣の父)、石郷(望月彦兵二)、源兌孝(大寄友右衛門)

獅子頭1 獅子頭2

社宝 古代獅子頭 「弓削神社秘蔵の古代獅子頭、弘治2年治部卿造之の銘あり」

挿絵

黒川春村『並山日記』嘉永三(1850年)の挿絵(同行の画家・松本亀兵による)
黒川春村は市川大門村の紙商・渡邊寿に招かれて嘉永3年4月、市川大門に滞在し、弓削神社も訪れている

俳句碑

すずしさや

弓削の社の

注連そよ久

  六十五翁 渡井松哉
渡井松哉 俳人
弘化元年生まれ、大正14年没
享年八十四歳、市川大門村収入役・郵便局長など

歌碑

ひろくはうやぶかりそぎて

かしの杜 梅の林と

なりにけるかな 清平

後藤鑑次郞清平
市川代官所公事方
(安政四年~文久元年)

◇由緒            勧請年月不祥なれど延喜式神明帳所載甲斐国二十座の一にして千数百年以前の創立なり。日本後紀に「延暦二四年十二月甲斐国巨摩郡弓削神社官社に列す霊験あるを以てなり」と記載しあり此の辺は古来 八代・巨摩両郡の境なりしを以て一時は巨摩郡に属せし時代あり  景行天皇四十年皇子日本武尊 吉備武彦並に大伴武日連を従えて東国平定し還路甲斐國酒折宮に駐せし際靭部を以て大伴連の遠祖武日に賜ると伝えられ 大伴武日命はその後この地に留まり居館を造営して周辺一帯を治めた 土人其の徳を慕いその子孫と共に当社を創設したもので社号のユゲは靭部の転訛したもので創立は成務仲哀の御宇にあると言える  明治六年郷社に列す。
境内に白紙社あり、天日鷲神 津昨見神をまつる。他に地主社・東照宮・衢神社等の境内社がある 当社の南に弓削塚と云うありその辺りの地を御弓削と呼び伝えて大伴武日命の墳墓にして当社はその館跡なりと なお青嶋家は大伴武日命の末裔として三十一代に渡って宮司としてお仕えしてきた。 甲斐源氏の粗刑部三郎義清市川郷に館していた時曾て当社に通夜し左の和歌を献ず   おのつから心もすゝし御しめ縄          弓削のやしろの神垣のうち                  甲斐源氏  源 義清

祖霊社

祖霊社・昭和59年建立、境内末社を祀る。
(白紙社、地主社、東照宮、衢神社、祖霊社)
切妻平入り銅板葺き、室内に石祠5基あり。

随身門

随身門
入母屋造り瓦葺六脚楼門・後室に
随身像一対を納め、前室はない
前の両側二本の柱間の大虹梁は
差渡し5.2mある。
市川三郷町指定有形文化財

拝殿

拝殿
建立年代不詳
入母屋平入り高床式寝殿造り向拝付き
入口の両開き板戸は二つ折り桟唐戸
柱間は全て半蔀戸で中世武家住宅の 様式を伝える
市川三郷町指定有形文化財

  平成26年5月指定 市川三郷町有形文化財四棟(鳥居・随身門・拝殿・本殿)

随身門鬼瓦

随身門鬼瓦

拝殿鬼瓦

拝殿鬼瓦

本殿鬼瓦

本殿鬼瓦

三者三様の鬼板の表情で建築年代の違いが分かる。本殿と拝殿の鬼は舌を出している。

本殿外
本殿内

市川三郷町指定有形文化財

昭和37年檜皮葺きを銅板葺きに変更・

三間社流造り檜皮葺き

弘治二(1556)年建立

本殿

白檀の古木

白檀(柏槇(びゃくしん))の古木
江戸時代落雷で焼失、根幹のみ残る。
根廻り10m

手水舎
手水舎・昭和61年建立
奉納 天皇陛下御在位六十年記念

鳥居の前に曾て松の古木あり その姿は蟠龍の如く天正十年徳川家康公宿陣のおりこの松を見ていたく愛賞され「御言葉の松」として近隣に知られたが惜しくも江戸時代末期に枯れてしまった    境内社叢の大部分はシラカシの自然林で総数六十本余り、大きいものは幹回り三メートル、樹高二十五メートルに達しその景観は県下でもまれに見るものである。

獅子頭挿絵

出典  山梨デジタルアーカイブ(山梨県立図書館) H27・9・17 山梨県立図書館より、弓削神社あて「図書館資料撮影掲載等許可証」受領。・ パンフレット「弓削神社之栞」掲載のため。 メールにてデジタルデータ受領